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山口地方裁判所岩国支部 昭和63年(ワ)44号 判決 1991年8月23日

原告

三坂力

ほか二名

被告

出相武男

主文

一  被告は、原告三坂力に対し、金二三二万四九六五円、原告三坂昌弘、同益本初美に対し、各金一一六万二四八二円及び右各金員に対する昭和六二年九月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを七分し、その六を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告三坂力に対し、金一五三四万四三六八円、同三坂昌弘、同益本初美に対し、各七六七万二一八四円及び右各金員に対する昭和六二年九月一八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車に轢かれて死亡した被害者の相続人らが民法七〇九条に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  (事故の発生)

(一) 日時 昭和六二年九月一八日午後四時一五分ころ

(二) 場所 山口県玖珂郡周東町大字中山九〇八番地の三六先路上(以下「本件道路」という。)

(三) 加害車両 被告運転の普通乗用自動車(山五七ま五三〇五。以下「被告車」という。)

(四) 事故態様と経過 被害者亡三坂千惠子(以下「千惠子」という。)が、前記日時ころ前記場所を歩行中、被告運転の前記車両が前方不注視のため後ろから衝突したことにより、千惠子は骨盤骨折等の重傷を負い、直ちに国立岩国病院に入院し、意識不明のまま同年一〇月二日午前六時一〇分死亡するに至つた。

2  (責任原因)

本件事故は、千惠子が前記道路を歩行中に、被告が酩酊状態、かつ、前方不注意で漫然と進行した過失により惹起されたもので、被告に民法七〇九条の責任がある。

3  (損害のてん補)

原告らは、死亡による損害について自賠責保険金一〇八二万円を受領し、これを相続分に応じて各自の損害に充当した。

二  争点

1  本件事故と千惠子の死亡との因果関係

被告は、

(一) 千惠子の死因は本件事故による受傷が直接の原因ではなく、同女が既存障害として有していた肝硬変症を原因とする肝不全のため死亡したものである、

(二) 仮にそうでないとしても、骨盤骨折による大量出血により発生したDIC(播種性血管内凝固)が肝硬変症による肝機能低下状態と相互に影響し合い、最終的に肝不全に陥つたと考えられ、本件事故と肝硬変症とが相まつて死亡するに至つたものであり、いわゆる割合的因果関係の割合もしくは本件事故の死亡に対する寄与度は低い

旨主張する。

2  損害額

被告は、原告らの損害額就中逸失利益について争い、千惠子には肝硬変症の既往症があつたが、罹患後充分な医学的管理が行われておらず、飲酒を続けるなど不摂生な生活を続けていたことから肝硬変症が悪化していたものと考えられるところ、このような場合、肝硬変患者の平均生存年数、生存率は低下し、稼働可能年数も通常健康人より短縮され、さらに、従事することのできる労働も制限されるのであつて、年間収入額も通常人より低額となる旨主張する。

3  過失相殺

被告は、「被告は、わき見して前方を注意せず自車前方道路右側から左側に横断していた千惠子に気付かなかつたため本件事故を惹起したものであるが、他方千惠子においても、本件道路は見通しが良く、被告車が進行して接近しつつあつたのであるから、道路を横断せず待避するなどすれば容易に本件事故を回避することができたのに、漫然道路を横断した過失があり、過失相殺すべきである。」旨主張する。

第三争点に対する判断

一  本件事故と千惠子の死亡との因果関係

1  前記争いのない事実に、証拠(甲三の1ないし141、四の1ないし32、五の1ないし3、六の1の1、1の2、2ないし21、七の3、12ないし14、乙三、証人岩本功、原告三坂力、鑑定の結果、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 千惠子は、昭和六二年九月一八日午後四時一五分ころ本件事故にあい、直ちに救急車で岩国みなみ病院に搬送され、頭部外傷、右眼球結膜損傷、腹部打撲、骨盤骨折、シヨツク状態との診断により救急処置を受け、同日国立岩国病院に転送され入院したが、入院時における千惠子の意識は清明で、会話可能であつた。

(二) 国立岩国病院では、骨盤骨折、左脛骨骨折、全身打撲、頭部挫傷、出血性シヨツクと診断し、シヨツク状態の改善のため輸血、輸液の処置をしたものの血圧が低下し、十分な循環状態が得られなかつたため、腹腔内臓器の損傷を疑い、開腹術を施行した。その結果、腹腔内蔵器の損傷は認められなかつたが、骨盤骨折部からの出血と思われる骨盤腔の出血(約六〇〇ミリリツトル)がみられ、直接止血が不可能のため、両側内腸骨動脈を結紮し止血をはかつたものの術後も出血が続き、術後五日目位にようやくほぼ出血が止まつた(輸血量は合計一〇リツトル以上)。

なお、千惠子は、後記のとおり本件事故前に肝硬変症により治療を受けたことがあり、開腹時の医師の所見でも、肝臓は全体的に小結節様で硬く、肝縁は鈍で、肝硬変症との診断がなされた。

(三) その後同月二〇日ころには血圧も安定し、尿量も増えてきていたが、同月二一日、総ビリルビン値が高いことが判明し、同月二三日ころには黄疸がみられ、以後急速に肝機能が低下し、同月二五日ころより肝不全の状態となり、同年一〇月二日死亡した。

(四) ところで、千惠子は、酒が好きで夫の晩酌に付き合つていたが、昭和六一年ころ体のだるさを訴え、同年三月二四日、岩本医院を受診し、腹水、膀胱炎、腸炎、心不全、貧血、肝炎等の診断を受けた後、岩本医師の紹介により同月三一日下松記念病院を受診し、同日入院した。入院時、千惠子は、腹水がたまつており、下肢浮腫もみられ、検査の結果、肝硬変症であり、食道静脈瘤もあることが判明したが、治療の結果軽快し、同年五月一〇日退院した。

なお、下松記念病院で千惠子を診察した岩本功医師は、食道静脈瘤は第一度(最も軽い)であり、肝硬変は中等度前後あるいはそれ以下であるとの所見を述べている。そして、肝硬変症の成因については確定できないと述べているが、HBS抗原はマイナスであつたから、B型肝炎ウイルスが原因である可能性は低いと認められる。

(五) 千惠子は、退院後岩本医院に通院していたが、同年七月一〇日を最後に通院しなくなつた。

その後、千惠子は自宅で家事労働をしていたが、禁酒していたというわけではなく、以前程ではなかつたものの時折飲酒することもあつたところ、昭和六二年七月ころから再び体のだるさを訴えるようになり、夫である原告三坂力(以下「原告力」という。)から医者へ行くよう勧められていた。

(六) 本件事故当時の千惠子の肝硬変症の程度は、解剖しておらず、また、事故直前の検査データがないため確定し難いが、開腹時の所見や一旦軽快していた症状が本件事故の二か月程前から再び出始めていたことからすると、決して軽いとはいえずかなり進行していたものと認められる。

(七) 千惠子の死因について、鑑定人は、本件事故による骨盤骨折や脛骨骨折でシヨツク状態になり、そのシヨツク時の肝臓の血流量低下がもとで、もともと、いつ起こしてもおかしくない程の状態であつた肝硬変症に基づく肝機能不全が発症したと考えるのが妥当であり、本件事故と千惠子の死亡との因果関係は、割合的にみて五〇パーセント程度と考えるのが妥当と考えるとの意見を述べており、国立岩国病院での担当医師岩藤浩典は、シヨツク状態など循環状態不良の時期が続いたこと、多量出血のため多量の輸血を必要としたこと、さらに、事故前より肝硬変症があり肝機能の低下が多少あつたと考えられることなどにより、術後急速に肝機能が低下して肝不全の状態となり死亡したと述べている。

2  以上認定の事実を総合すると、千惠子は、本件事故による骨盤骨折等による出血でシヨツク状態になり(証人岩本功の証言によれば、肝硬変症の場合通常止血機能が低下することが認められる。)、そのため肝臓の血流量が低下したこと等により、千惠子が罹患していた肝硬変症から肝機能不全となり死亡するに至つたものと認めるのが相当である。

そうすると、本件事故と千惠子の死亡との間には相当因果関係があるものというべきであるが、右のとおり、千惠子はもともと肝硬変症に罹患しており、それが死亡という結果の発生の原因の一つとなつていることは否定できないところ、前記認定の諸般の事情を総合勘案すると、本件事故の千惠子の死亡についての寄与度は五割とみるのが相当であり、被告は、千惠子の死亡による損害につき右限度で賠償の責任があるというべきである。

二  損害額(請求額三〇六八万八七三六円)

1  逸失利益(請求額一六九八万八七三六円) 一六九八万八七三六円

証拠(甲二、七の12、14、原告三坂力)によれば、千惠子は、本件事故当時満五三歳(昭和九年四月一日生)の女子で、夫の原告力及び長男原告三坂昌弘(以下「原告昌弘」という。)と同居し、昭和五八年に勤めをやめてからは家事労働に従事していたこと、前記のとおり千惠子は肝硬変症に罹患していたが、家事労働は普通にこなしていたことが認められる。

右事実によれば、千惠子は、本件事故当時、少なくとも昭和六二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の全年齢平均年収額の範囲内で原告が主張している二三三万一六〇〇円の年収を得ることができたものと推認できる。

そこで、次に、千惠子の就労可能年数について検討する。

この点につき、鑑定の結果によれば、鑑定人は次のような意見を述べている。すなわち、本件事故当日の開腹手術の際、既に千惠子の肝臓は全体的に小結節様で硬く、肝縁は鈍の状態を呈しており、一般的に判断すれば、このように表現される肝臓では、肝臓実質が全体的に高度の肝硬変に陥つており、肝硬変の末期的所見で、いつ致死的肝機能不全を発症してもおかしくない程度のものと考えるのが妥当であること、本件事故の二、三か月前から千惠子には肝機能不全の症状が出てきており、加えて、本件事故当日に測定されたGOT、GPTの値がそれぞれ一二七(正常値八~一〇)と四五(正常値五~二五)であり、これは、本件事故の一年半前に肝硬変症と診断されて値を測定し始めてから最高値であること、小池ゆり子らの「肝硬変症の成因別実態」という論文において、肝硬変症と診断されてから死亡するまでの期間は、各成因別、各死因別でやや異なるものの短いもので三年一か月、長いもので六年三か月であると記載されているところ、このデータを千惠子に当てはめて考えると、同女は本件事故当時肝硬変症と診断されてから約一年半経過しているから、本件事故がなくとも、本件事故当時から数えて短くて一年半、長くて五年弱の余命ということになること、また、針原重義、山本祐夫の「肝硬変症の成因と予後」という論文では、最も予後の悪いB型肝硬変症で、かつ、アルコールを摂取している場合の五年生存率は三三パーセント、比較的予後の良い非B型肝硬変症でもアルコールを摂取している場合の五年生存率は五六パーセントと記載されているところ、千惠子は、本件事故の一年半前肝硬変症と診断されたにもかかわらず、その後も飲酒していることが窺えることから、肝硬変症の成因を問わず、肝硬変症と診断されてからの五年生存率は約五〇パーセント又はそれ以下と考えざるを得ないこと等を総合して考えると、本件事故当時千惠子は既に肝硬変症による肝機能低下がかなり進んでいたことが窺え、千惠子の余命は本件事故がなくとも短くて一年半、長くとも五年弱とみるのが相当であり、労働可能年数はそれよりさらに短いと考えるのが相当であるというのである。

そこで検討するに、なるほど千惠子の肝硬変症の程度はかなり進行した状態にあり、決して程度の軽いものではなかつたことは前述したとおりである。

しかしながら、鑑定人も自認しているとおり、本件事故当時の千惠子の肝硬変症の程度からその余命ないし就労可能年数を判断するための最新かつ具体的資料としては、開腹時の医師の形態的な所見程度であり、解剖が行なわれていないことや本件事故直前の検査データがないことから、千惠子の余命ないし就労可能年数を正確に判断するための資料が不足していることは否定できないこと(なお、鑑定人は、本件事故当日に測定されたGOT、GPTの値を根拠の一つとして挙げているが、右値は、本件事故による骨盤骨折等による出血性シヨツクの状態に陥つた後の値であるから、本件事故がなかつた場合の数値とは当然異なるはずであり、これに重きをおくことは相当でない。)、また、乙四の1によれば、小池ゆり子らの「肝硬変症の成因別実態」という論文に記載されている肝硬変症と診断されてから死亡するまでの期間というのは、調査対象の症例のうち死亡した症例につきその期間を考察したものであり、もとより症例の全員が死亡したわけではなく、六年三か月以上生存している症例もあること(なお、右論文に記載されている累積生存率(一九七五年までに診断された症例による。)には、七年生存率という欄もある。)、さらに、乙四の2によれば、針原重義、山本祐夫の「肝硬変症の成因と予後」という論文では、非B型肝硬変症(千惠子の肝硬変症の成因は前述したとおり判然としないが、前述したとおりHBS抗原がマイナスであるから非B型である可能性が高い。)で、かつ、大酒家群では、鑑定人の指摘するとおり、五年生存率は五六パーセントと記載されているが、千惠子はもともと酒好きで前回入院して退院した後本件事故までの間も多少は飲酒していたことは窺われるものの、大酒家群に入る程の飲酒歴であつたと認めるに足りる証拠はないこと(ちなみに、右論文では、非B型肝硬変症で、かつ、非大酒家群の場合の五年生存率は六九パーセント、一〇年生存率は四四パーセントであると記載されている。)、乙四の3によれば、林茂樹らの「肝硬変症の成因別実態」という論文では、特殊型を除いた肝硬変症全体の累積生存率は、一年八〇・四パーセント、二年七四・六パーセント、五年五四・四パーセント、一〇年三八・一パーセントであり、長期的にみてもつとも予後良好とされるアルコール性では一〇年生存率は約五〇パーセントであることが認められること、本件事故の約一年半前に千惠子を診察した下松記念病院の岩本功医師の証言によれば、千惠子の当時の肝硬変症の程度は臨床的には中等度あるいはそれ以下で決して軽くはないが、それ程重病とは思えず、また、生存率はケースバイケースでわからないというのであり、右入院期間中の治療により一旦軽快していること、その後千惠子は通院治療をやめたこともあつて本件事故の二か月程前から再び肝硬変症が悪化の傾向を示し始めていたことは窺えるが、夫から治療を受けるよう勧められていたことからすれば、早晩医師の診察を受けていたであろうことは推認するに難くないところ、治療を受けたうえその後の養生いかんによつては少なくとも症状の悪化は食い止められたものと推認できること等を総合考慮すると、余命ないし就労可能年数についての鑑定人の意見は直ちに採用し難いというべきである。

そうすると、結局千惠子の肝硬変症が就労可能年数についてどの程度の影響を及ぼすか知ることができないというべきであり、諸般の事情を考慮すると、千惠子の就労可能年数は六七歳までの一四年間と認めるのが相当である。

そこで、前記年収額を基礎に、生活費控除割合を三〇パーセントとし、ホフマン式計算法により中間利息を控除して、千惠子の逸失利益の現価を算出すると、一六九八万八七三六円(円未満切捨、以下同じ。)となる。

(計算式)

2,331,600×10.409=24,269,624

24,269,624×(1-0.3)=16,988,736

2  慰謝料(請求額二〇〇〇万円) 一六〇〇万円

本件に顕れた一切の事情を考慮すると、千惠子の死亡による慰謝料は一六〇〇万円が相当である。

3  仏壇、墓碑建立費(請求額二五〇万円) 五〇万円

証拠(乙五の1、2、六の1ないし4、被告本人)によれば、被告は、千惠子の葬儀費用として五〇万円以上を負担したことが認められ、また、証拠(原告三坂力、弁論の全趣旨)によれば、原告らは千惠子のために墓碑を建立したことが認められ(なお、仏壇については本件事故により購入したものではないから損害として認められない。)、これらの諸事情を勘案すると、本件事故と相当因果関係を有する墓碑建立費用は五〇万円と認めるのが相当である。

そして、右費用は、夫である原告力が二分の一、子である原告昌弘、同益本初美(以下「原告初美」という。)が各四分の一を負担した(弁論の全趣旨)。

三  過失相殺

前記争いのない事実に、証拠(甲七の1、4ないし11、被告本人、弁論の全趣旨)を総合すると、被告は、昭和六二年九月一八日、本件事故現場付近で催された会合に出席し、同日午後零時半ころから午後四時前ころにかけて焼酎約二合を飲酒した後、同日午後四時一五分ころ、植木に水をやるため被告車を運転し、本件道路を田尻方向から午王ノ内方向に向かい時速約四〇キロメートルで進行中、進路左側にあつた原告三坂方の植木に気を取られ、さらに同人方北側の交差道路からの車両の有無に気を奪われたため、折から進路前方を右から左に向かい横断しようとした千惠子に全く気付かず、同女に自車前部を激突させて路上に転倒させたこと、本件事故現場は、戸数六戸の住宅地を南北に走る幅員約八メートルの建設中の道路であり、路面は非舗装で、両端は三〇ないし四〇センチメートルの幅で盛土がされ、歩道状になつていること、本件事故現場付近は、本件道路の東側から幅員約四メートルの道路が、西側から幅員約四・二メートルの道路がそれぞれ交差し、変形の四差路交差点となつているところ、本件道路はほぼ直線で見通しは良かつたこと、また、前記のとおり、本件道路は建設中で交通量は少なかつたことが認められる。

以上認定の事実によれば、本件事故は、被告の前方不注視により発生した事故であることは明らかであるが、一方、千惠子の方も見通しの良い道路で被告車が接近してくることを容易に気付き得たにもかかわらず道路を横断しており、被告車の動向に十分な注意を払つていなかつたことが窺われるから、本件事故の発生については千惠子にも過失があり、その割合は一割と認めるのが相当である。

四  相続

証拠(甲二)によれば、原告力が千惠子の夫、原告昌弘、同初美がその子であることが認められるので、原告らは、前記二の1、2の損害額から本件事故の寄与度に応じその五割を減額し(合計一六四九万四三六八円)、さらに、本件事故については千惠子にも過失があるので、右一六四九万四三六八円に一割の過失相殺をした残額(合計一四八四万四九三一円)を法定相続分に従い、原告力は二分の一の七四二万二四六五円、原告昌弘、同初美は各四分の一の三七一万一二三二円を相続により承継取得したことになる。

そして、墓碑建立費用については、前述したとおり、原告らがその相続分に応じて負担したから、五〇万円から五割を減額し、さらに一割を減じた残額二二万五〇〇〇円につき、原告力は金一一万二五〇〇円、原告昌弘、同初美は各金五万六二五〇円の損害賠償請求権を取得したことになる。

したがつて、原告力は計七五三万四九六五円の、原告昌弘、同初美は各計三七六万七四八二円の損害賠償請求権が認められる。

五  損害のてん補

前記のとおり、原告らは、死亡による損害について自賠責保険金一〇八二万円を受領し、これを法定相続分に従い、原告力が五四一万円、原告昌弘、同初美が各二七〇万五〇〇〇円をそれぞれ各自の損害に充当したことが認められるので、前記損害からこれを控除すると、原告らの損害残額は、原告力につき二一二万四九六五円、原告昌弘、同初美につき各一〇六万二四八二円となる。

六  弁護士費用(請求額二〇〇万円) 四〇万円

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の損害額は、原告力につき二〇万円、原告昌弘、同初美につき各一〇万円と認めるのが相当である。

七  以上の次第で、原告らの請求は、原告力につき二三二万四九六五円、原告昌弘、同初美につき各金一一六万二四八二円及び右各金員に対する不法行為の日である昭和六二年九月一八日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 角隆博)

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